父さんありがとう、そして本当にお疲れ様でした!!
通夜、告別式ともに無事に終わり、今の気持ちを整理する意味でも文章に残しておく。
小さい頃はキャッチボールやポーカーをしたりして遊んでくれた父。小学校ぐらいまでは、嫌になるまで温泉に連れてってくれた父。高校大学大学院と私立にまで行かせてくれ、言葉には出さずとも非常に多くのサポートしてくれた父。
そんな父が平成26年11月21日に63歳の齢でこの世を去りました。
10月中旬に肝臓に腫瘍が見つかり、その後検査入院。脾臓やリンパなどへの転移も進んでおり、原発も分からないため、原発不明ガンで、治療のしようがない状態でした。 検査前ぐらいに実家にいる母から、父の体調が悪化しどんどん痩せていってるとメールがあったとき、最悪の状態は想定しつつ、後悔しないよう可能な限り、家族と過ごす時間を増やそう、やれるだけはやってみようという気持ちでした。
腫瘍が見つかる数日前には、一緒に湯治場旅行も行けるぐらいまだ気力は残っており、疲れはあるもののまだ生活ができていたのですが、先月末に入院した頃には、ベッドから立ち上がるのも辛くなり、日々どんどん弱っていったように思います。
末期ガンが治る本を読み、野菜ジュース含めた代替医療なども試みようとしましたが、もうそれを受け付けるだけの体力もほとんどなく、もう少し気づくのが早ければなという気持ちしかありません。
為す術がなく、終末の整理をするため、我が家に戻ってからも、刻々と体調が悪くなり、結果的に緩和ケアのある病院にお世話になり、そこで息を引き取りました。
最期は、呼吸の間隔が少しずつ延び、静かに息を引き取りました。そういう意味で大きな痛みもなく、穏やかに最期を迎えられて良かったのではないかと思います。
そんな感じで怒涛の一ヶ月でした。 亡くなったあと、身体を我が家に連れて行き、通夜までの数日を家で過ごしたのですが、本当に単に寝てるようにしか見えなく、未だにそのうち帰ってくるんじゃないかというぐらい、まだ実感がない状態でした。
このように慌ただしい一ヶ月でしたが、職場に状況を伝えたところ、代わりに仕事をやってくれたり、過去サービスを見てくれた人たちや後輩たちが障害対応どんどんしてくれて、本当に感謝です。
早退だったり、連休取ったりでき、しかも最期を看取れたのは、ほんとに今いるチーム、会社のおかげだなぁと。
また、こんな一ヶ月でしたが、死というものがやはり身近になり、非常に色々考えさせられました。
父が何十年もかけて返済したローンの記録用紙を、もう過去のものだからと言って捨てたり、病院で先生から色々告げられた後、後悔はないからと、母と強く手を握ってた姿だったりを、間近で見ると、自分の最期をどうしたいのか、色々考えてしまいました。
いずれにしても、今は天国で安らかに休んで欲しいなと。仕事を本当に一生懸命やっていた人なので、少しでも休んでほしいですね。 ということで、父さんほんとにありがとう。そしてお疲れ様でした!!ゆっくり休んでください!!